professional・・・・・・・。
線引きは何処なんだろう・・・・・?
自称?他称?
スポーツや音楽の様に俗に言う‘プロ’の枠に入れば‘Professional’と言えるのだろうか・・・・・?
それは人格的、職業的、人生的、技術的・・・・。
さまざまなことが絡み合う。
考えれば考えるほど理屈では言い表せない。
昨夜24:40分某映画館。
満員御礼につきチケットカウンターはCLOSE。
‘THIS IS IT’
映画の感想や感動、MJについては賛否両論あるだろう。
僕の中にも賛否は有る。
ソレはここではさておき。
辞書によれば、Professional=専門職。玄人。
確かにその通り。
そしてその枠は曖昧ですごく漠然としている。
ただ何かの専門職でとりあえずで働いている人も、研究熱心に向上心を持って取り組んでいる人もどちらも‘Professional’といえるのか?
Professionalに対しての意識や誇りは人によって度合いも考え方も違う。
しかしながら、自分なりの解釈として思うことは、自らを育てるという事。
どんな分野においても専門的に取り組むにはある一定レベルの技術や知識は必要不可欠。そこまでは知ってて当たり前、出来て当たり前。
そこから先が事の始まり。
誰かが手取り足取り教えてくれるわけではない。
常に暗中模索の中から自分を捜し求め自分を作り出す。
そこから生まれる物を世の中へ打ち出し、自分の存在価値を作り上げる。そしてその自分の存在を転がし続け時代と共に容は変わっていく。
新しいものはいつしか古くなる。
それは新しいものが生まれている証。
古と新どちらか一つは選びがたい。
しかし新たなものを生むのであればバックグラウンドの在る新しいものを生み出したい。
昨日までの自分とは違う!なんて虫のいい話は無い。
昨日の自分と今日の自分にたいした違いは無い。
生きている限り過去も未来も在る。
寝てもさめても何かを思い追究し続け、そこから見つけたことを握り締め、多くの経験と多くの知識でやっとこさ人は少しづつ変わっていく。
口で言うほどたやすいものではない。
天才だって磨かなかったらただの凡才に過ぎない。
せめて、天才か凡才かが分かるまでは磨いてみたいものだ。
そこまで行けば次にどう動くかはおのずと見えてくるはず。
Entertainment Professional=Michael Jackson
スクリーンのマイケルがダンサーやコーラスバンドなどとリハーサルをする中、
ふとした瞬間にこみ上げる感情から、体が動き歌を歌い本番さながらのグルーブ感を見せる。根底はそこに在るような気がする。
幼い頃からProfessionalの道をあゆんできた50歳のオジサンも、その根底には変わらず忘れないものがあったんだろう。または変われなかったのか?
しかしそこから新しいものは生まれてきたのだ・・・。
拍手喝さい。満員の観客。中にはコスプレも。涙する人も。
しかし、涙も出らず。拍手も出来ず。ただただ、無言でした。
言葉はないが、感じたもの、学んだものは、多かった。
Thank’s Professional!!!
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