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2017/04/09

USA TOURING ⑦

昨夜の事件もあり、極寒の中を800km走行したせいで、朝の体はバキバキ.....。
オフロードコースをしっかり走った翌日みたいに体が固まってる。

マジでベッドから起きるだけでも一苦労なほど体が重い。
入念にストレッチをして、体と精神を叩き起こさなくてはバイクに跨がれる気がしない。
今日も氷点下の中孤独なチャレンジを続けるのだから気合を入れよう!

毎晩遅くにチェックインするのでモーテルの周辺環境もよくわからず、朝起きてこんなとこなんだぁっと周りを散歩。やはり今日も極寒。
過去の渡米とは全く違い、ど田舎ばかりなので周りに何もないし、安いモーテルなのでもちろん周辺環境も悪く、治安が悪い臭いがプンプン。
今日は部屋の前はスクラップ屋?デカイ番犬が朝からけたたましく吠えまくっていた。

身支度を済ませ、疲労困憊な体に鞭を打ち今日も頑張ろう!!

今日は朝一から夢の大地を目指すのだ!!

























っと、意気込んで出発するが.......,

実はモーテルから目的地まで10マイルほどの位置なのであっさり到着!!!!笑
 

この渡米で絶対に訪れたかった場所の一つがココ!

BONNEVILLE  SALT  FLATS!!!



本来、暖かい季節ならば水が干上がって真っ白な塩の大地が広がっている。予定ではバイクで走ってど真ん中の何もないところにテントを張って夜を明かしたかったのだが、さすがにこの季節では願い叶わず。涙
しかし、このとてつもない広大さと水が張って鏡のように反射している景色はとても幻想的で言葉を失うほどの感動だ!!
写真や動画ではこの感動は伝わらないであろうが、この塩の平原は260㎢もの面積がある。
って言われてもピンとこないだろうが、正方形に換算すると一辺が16km位になる?
福岡市の面積が340㎢。そう考えると、とにかく広い!とにかく平!地平線が真っ直ぐすぎて遠くの山も近いんだか遠いんだか遠近感がよく分からなくなる。




 ご存知の方も多いとは思いますが、ここは毎年8月に世界のスピード狂が集まるBONNEVILLE SPEED WEEKという100年以上の歴史がある最速レースが開催される場所です!!!
映画やCMの舞台でもよく使われる場所で、バイク乗りならきっと見たことのある映画「世界最速のインディアン」の舞台もここです!

最近ではKAWASAKIのモンスターマシンNINJA H2Rもここで最速400KMを叩き出しました!!



次来るときは絶対ここを走ってテントを張ってやる!!
そんな思いを残しつつも、旅の目的を一つ達成出来た喜びを噛み締めることができました!!

2017/03/01

USA TOURING ⑥

買い出しを終え、AM11:00ネバダ州リノを出発。
ネバダ州とユタ州の堺『WENDOVER』を目指し西から東へ400mil=640kmほどの道のりだ。



フリーウェイR80を気温氷点下の中、ただひたすら走る。
この辺りは緯度で言うと北海道とほぼ同じ位置なので2月の北海道をバイクで走ることを想像してみれば寒さも大体の察しはつくだろう。日差しはあっても極寒だ。

とにかく延々と続くフリーウェイ。
店やスタンドも100km以上走ってやっと有るか無いか。
交通量も極少なので道なりにアクセルを開けていくと気がついた時には200km/hを超えていることもしばしば。
メーターはもちろんマイル表示だがいつもの習慣で100近辺で巡航してしまう。他の車と足並みを揃えると大体80mil=125km巡行が良さそうだ。
日本の高速道路ではほとんど感じなことだが、とにかく風がすごい。日本の高速は大抵両サイドに壁があり、道路も山間部を通っていることが多い為走行風以外はあまり考えなくても良い。
しかし、アメリカのフリーウェイは平地の真ん中を通っていて遮る物が何も無い。
100kmを超えると前方からの走行風だけでも体制を保つのに体力を使うが、突如、左右や後方から突風が吹く。何の前触れもなくいきなりだ。
その車体も体も暴れ1車線横に押されてしまう事も多々ある。常にニーグリップをして脇を閉めておかないとかなり危険だ。
行き交う車の半数は10mはゆうに超える長距離トレーラーだ。長いものはコンテナを2個牽引したもので20mクラスの車両も走っている。横幅も日本のトラックより随分でかい。
このマンモス級のトレーラーが120km〜160kmで走行していると100m後方を走っているだけで走行風が乱れて自分の車体が暴れ出す。近づくとその風圧は凄まじく並走なんてできたものでは無い。トレーラーを抜く時や抜かれる時も集中していないと荒れ狂う風圧で突き放されるばかりではなく巻き風であの大きなタイヤ目掛けて吸い込まれてしまいそうになる。風や空気の流れは目に見えないので透明人間に左右や後ろから突き飛ばされるようなものだ。感覚が慣れるまではかなり危険を感じた。トレーラーは迷わずゴボウ抜きする方が無難だ。

1〜2時間おきにスタンドがあれば給油をまめに行う。次で入れればいいや!なんて手を抜くと大事になりかねない。
っと言うより、実は既に僕も小さな町で1箇所給油に寄るのが面倒で次に回した結果エンプティーギリギリになり、恐怖を味わったからだ。
フリーウェイ沿いのスタンドは大きく充実している。ガソリンを入れるだけではなく、食事もできるしホームセンター並みに色々なものが揃う。この辺りの寒いエリアでは薪なども売っている。





 フリーウェイを降り給油がてら途中の小さな町に寄るのも楽しい。
時間の流れ方がゆっくりで僕のような大荷物のライダーは珍しいようで地元民からよく話しかけてもらえる。語学力は乏しいものの街中で出会う人々よりもゆったりと話し込むことができるのでとてもよい。
途中、ラブロックという町で出会ったトムというおじさんはバイクが好き、というより気狂でトライアンフなどいろいろ持っていて、今はVICTORYというアメリカンバイクをカスタム中で排気量は6000ccなんだとか。話の流れで家に来いよ!っと誘われ、時間が押しているので断ったが、時間があれば行きたかった。日本に何度か観光に来た事もあると言っていたので一応名刺を渡しまた会おう!っと言って先を急いだ。


ローカルエリアのアンティークショップやポーンショップを覗くと面白い物やレア物が破格で売られている。都心と違って日本人バイヤーも来ないので日本ではアンティークで売れそうなものがたくさん残っている。


 欲しいものがたくさんあったが今回はバイク旅が目的!荷物も増やせないので物は買わない。
嵩張らないものなら......。っと心揺らいだが、
でも1個買うとキリがないので欲望を断ち切って何も買わずに涙を飲んだ。



そうこうしていると、すっかり陽は沈み街灯もないフリーウェイをひたすら走る。
この時点で今日もキャンプをすることは時間的に断念。
知らない土地でこの時間からキャンプ地を探すのは厳しい。特にこの時期はほとんどのキャンプ場がクローズしている。町についてモーテルを探そう。

夜になり気温はグングン下がり車載のI phonは充電ケーブルを繋いでいてもローバッテリーになる。あげくは突然フリーズして電源が落ちる。
これは日本の雪山でも経験済みなので想定の範囲内だ。

目的の『WENDOVER』まであと130km。
PM8:00頃。
あまりの寒さと給油で一旦フリーウェイを降りガソリンスタンドを探した。下道も街灯がない上に雪とアイスバーンで人気もなくライトの明かりだけが頼り。しばらく走りポツンと建つ小さなガソリンスタンドに立ち寄った。

実は日が暮れてから極寒のフリーウェイを数時間走っていると、知らない土地、極寒、暗闇、アイスバーンへの不安や恐怖心からか、思考能力が低下して変な眠気やボーッっとなる時間が続いていたので危険を感じての休憩だ。日本では感じたことのない初めての感覚だった。
バイクを降り給油を済ませ気温を見るとなんと!!

−17℃!!!!

そら意識朦朧となるわ!!
もはや冷凍庫の方がましかもしれないレベル。

もうこれ以上寒いとこはないはず!持参した最高レベルの防寒グッズを全て装着!!

上下靴ゴアテックス、ダウンジャケット、フリース、ヒートテック、ブーツカバー、ハンドルカバー、パウワウ、インナーグローブ、グリップヒーター!

そして準備段階で最後まで購入を悩んだ代物!!
高額なうえに、これまで『こんなもん着るのはダサい!』っと言い続けて来たコレ!!

上下電熱線ヒートウェアー!!

装備と給油を済ませ、さぁ気を取り直してコレであと130km走りきろう。
エンジンをかけ、ヒートウェアの電源をいれた瞬間、これまでの寒さが嘘のよう!
暖かい風呂に入ったかのような極楽感。身体も心も解けていく。

なんでもっと早く使わなかったのだろう。笑

そして鼻歌交じりで意気揚々とバイクを走らせ1時間後............。

ポケットで温め復活していたはずのI phoneなのにwifiを拾っていない。マップが動いていない。

あれ??

おかしいなぁ???
wifiルーターの故障かな?

出し入れの少ないルーターや貴重品はウエストポーチにまとめていたので走りながら腰回りをゴソゴソ.............。

あれ??

着込みすぎてどこにあるかわからない??

恐る恐るアイスバーンの路肩にバイクを寄せてもう一度ゴソゴソ..........。




無い!?


無い!?!?


無い!?!?!?



無ーーーーーーーーーい!!!!!!

中には、
ルーター。
デジカメ。
$100紙幣。
エアチケット。
パスポート。


全て一緒に紛失!!!





もちろん荷物の中にも無い。どこを探しても無いんです。多分この瞬間がこれまでの人生で一番の絶望感!!


海外での鉄則、『パスポートは命の次に大切』

分かってるよ!そんなこと!!!

ひとしきり慌てふためいて、さぁどうしよう!?!?

冷静に考えてみたところ、最後にバッグを見たのはさっき着替えたガソリンスタンド。

置き忘れたのだろうか?

それとも、走行中に落としたのだろうか?

このどちらかしか無い。


置き忘れたと仮定して、
さっきのスタンドに戻ればあるとは思えない。
金目のものを落として戻ってくるほどアメリカが優しい国とは思えない。
しかも時刻からすると店は閉店しているかもしれない。
さらには、給油したスタンドの地名やEXIT noも全く記憶にない。
暗闇に中、勘でスタンドを探すしかない。


走行中に落としたと仮定して、
どこからフリーウェイに乗ったかわからないし、
フリーウェイ上でUターンはできないので反対から乗って戻ってまた乗ってを繰り返さないと行き来はできない。しかも街灯は1つも無く闇。路肩や下道は積雪かアイスバーン。
交通量は少ないものの猛スピードのトレーラーも走っている。
落としていても見つかる確率はかなり低い。
しかも運の悪いことに、バッグは迷彩色だ.........。


ここでさらに!後ろにパッキングしていたはずの厚手のロードマップまでなくなっている!!
これはきっとあまりに激しい走行風で飛んで行ったのだろう。
もちろんルーターがないので通信機器は全てアウト!
この時点で道しるべは全て失った分けだ。


冷静に考えると更に不安がつのる。
どちらにしても引き返して探すとなるとその移動距離分ガソリンも減る。
さっきの給油からWENDOVERまで普通に行けば優に足りるのだが、現段階で紛失地点から約80km離れていることを考えると、戻ってスタンドが閉まっていた場合WENDOVERにたどり着くだけの燃料は足りなくなってしまう。バッグも見つからずスタンドも閉まっていた場合最悪はそこらへんでテントを張って夜を明かすしかなくなる。夜を明かしたところで店員が保管していない限りバッグは返ってこない。

一番安全で確実な方法を考える。
この状況で一番選びたくない方法だが、幸い財布はポケットの中に有り、現金もカード類も一通りはある。なのでバッグを見つけることを捨て、WENDOVERでモーテルに入り、世が明けてから警察&大使館に連絡。きっと日にちはかかるが日本へ帰る事は出来る。
だが、USA TOURINGを二日目にして断念しサンフランに戻る形となる。
やはり、この状況下だと一番安全な方法を取るべきなのだろうか..........。


-17℃の暗闇でいつまで考えても仕方ない!ここにいたらトレーラーに引かれるのが落ち!
決断をして動こう!!



結論。
今から自力でスタンドを探し、無ければ野宿をして、明日の朝ガソリンを入れてフリーウェイ上を探し、それでも無ければ大使館に連絡しよう!!やれる事は全部やってからもう一度考えよう!!



そうは言ったものの、寒さ、暗闇、不安、恐怖で既にメンタルは崩壊寸前。電熱線ウェアーなんて何の効力も無し。心は温めてくれない。


ただただ涙をこらえ自分を自分で励まし、奮い立たせる。

絶対!見つかる!

絶対!大丈夫!

俺ならやれる!

信じるものは救われる!

ハンドルをぐっと握りしめ、歯を食いしばり、ひたすら自分に言い聞かせる。

バイクに乗っていて、ここまで苦しかった記憶は後にも先にもこの瞬間だけだ。

そして何度もフリーウェイを乗り降りして.........,


あ----------!!!!

ここ!!!ここ!!!!!

このスタンド!!!!!!

まだ営業してる!!!

着替えたスタンドを発見!!!!!!









そして入念に辺りを見回すと。。。。。


あれ!?!?!?!




もしかして!?!?!?!?!









ううぉぉっぉーーーーーーーー!!!!


あったドォーーーーーーーーーー!!!!






これは奇跡ではなかろうか!!
このエリアにはここしかスタンドがないので結構人の出入りがあるにもかかわらず、
約2時間もここに置き去り。
中身も何も手付かずでそこに鎮座!!
もう絶対手放さない!

戻ってよかった!!
アメリカ最高!!

そこから気持ちも晴れやかに一気にWENDOVERへ!

町の明かりが見えたのは日付が変わる一歩手前。


 命からがらネバダ州とユタ州の州境 『WENDOVER』へ到着。
 一人モーテルで祝杯のうまかっちゃん!これほど美味いうまかっちゃんは食べたことがない!間違いなく忘れられない1日になった。
 予定を大幅に超え、
 本日の走行距離500mil=800km超え
お疲れ様!俺!!

2017/02/21

USA TOURING ⑤

2日目を迎えました。
今朝はネバダ州リノからのスタート!っと元気にいきたいところだが。

昨日の疲れが確実に残っている........。

重たい体で6:30の起床とともに目覚ましがてらモーテル周辺を軽くウォーキング!
日も登ってきたがとにかく寒い!遠くに見える山は真っ白!


恐る恐る気温を調べて見ると..........。−4℃!!!
この気温でバイクに乗るのは日本ではオフロードで雪山に登る時ぐらいだろう。
しかし寒さにビビってヌクヌクしている暇はない。
昨日やり残している車載電源の設置やキャンプ用品の買い出しを午前中に終わらせなくてはならない。
そそくさと作業を進めウェアー類も寒冷地仕様に整えMOTEL6をチェックアウト。
リノにはいくつかの大型アウトドアーショップがあり、国立公園の地図やガス燃料、水や食料。大抵の必要なものは揃う。


キャンプ用品以外にも日本では見慣れないものが沢山並んでいて
興味をそそられるものばかり。


そんな中............,

↓↓見てはいけないものを見てしまった!!!

これは、熊から食料などを守るためのセーフティーボックスだ。
これが売られているということは..........。
ヤバイ。。。


実は渡米前にキャンプをするにあたってずいぶん悩んでいた事がある。
それは、猛獣や毒系の生物との遭遇だ!
冗談ではなく真剣に悩んで、熊対策やサソリ対策を何度も考えたんです。真剣に。
これまでアメリカでの危険といえば犯罪や銃の人的治安の事しか考えた事がなかった。
しかし、これから向かう広大な自然の中では人間なんてただの弱い生物。
冬期に出る熊は冬眠をできずに餌も少なく腹をすかせているらしい........。
予定では暖かいアリゾナにも行くのだが暑いところといえば.........サソリ。
他にも日本にはいない毒蜘蛛や毒ヘビ.......,考えれば考えるほど恐怖でしかないが、
いくら考えたところで経験がないのだから恐怖心が無くなるはずもない。
こういう時はとにかく前に進み、その場の状況判断で乗り越えて行くしかない。




国立公園のマップも一通り手に入れ、
これで準備は万端!

今日の目的地は↓↓ココ。

まず、ネバダ州とユタ州の州境にある町『WENDOVER』にむかう。
そして、この町のすぐ近くにあるり、レースや映画で有名な『BONNEVILLE SALT FLATS』が目的地だ。町で情報収集をして、出来る事ならばソルトフラッツにテントを張り夜を明かしたい!!!想像しただけでもアクセル前回だ!!!
そのためにも寒さに負けず走りきろう!!


2017/02/15

USA TOURING ④

フライトが遅れたおかげで、サンフランのレンタルバイク店を出るのがPM4:00になってしまった。
予定どうりであればサンフランで今後のキャンプで必要な燃料や食料を調達がてら街をぶらっとする予定だったがそこらへんの諸用は明日の午前にずらし、今日はひとまず1日目の宿泊地NEVADA州RENOを目指す。
カリフォルニア州とネバダ州の境にあるシェラネバダ山脈を抜けネバダ州の一番最初に現れる街がリノだ。マップ上の距離で220mil。ちなみに1milは1.6kmなので約350kmのツーリングだ。

レンタルバイク店を後にして早々にフリーウェイに乗るのだが、サンフランシスコは結構都会で狭い上に急坂と一方通行がとにかく多い。長崎県よりもさらに傾斜がキツイ。
この夕方の通勤ラッシュ時はフリーウェイの乗り降りのテンポも速いしジャンクションの進路変更もかなりの集中力を使う。通勤ライダーのすり抜けの速さときたら日本の比ではない。フルカウルのスーパースポーツやスクランブラー、アメリカンも、車の隙間目掛けてガンガン突っ込んでいく。自分も他のライダーの後ろについて見よう見まねでアメリカ流の街乗りを真似てみたが、やはりすり抜けのスピードはすぐには慣れず何度も後続のバイクを抜かせた。抜き去るライダーのピースマークが悔しいがやけにカッコイイ。
しばらく走って気がついたのだが、自分が先頭ですり抜けをしていると前方の車両はたいてい少し道を開けてくれる。なるほど!だからみんなあのスピードで突っ込んでいくのか!1時間も走ればなんとなく流れがつかめてきてだんだん巡航速度も上げれるようになってきた。しかし後ろにはフルパニア積載なので油断はできない。

辺りはすっかり日も暮れシェラネバダ山脈が近づくと気温もグッと下がり時折雪が降りフリーウェイの側道には雪が積もっている。
800GSのガソリンメーターはガソリンが1/2位減った時点からメモリが下がっていくらしく、燃費や給油のペース配分の把握がやりにくい。
しかし、幸運なことにグリッピヒーターがついているのでこの寒さでも日本の極寒時期と変わらない装備でなんとか走れている。
すでに外気温は0度目前!

途中給油とルート確認以外ノンストップで走りなんとか1日目の目的地であるネバダ州リノにたどり着いた。
リノは小さな街だがカジノもあり小さなラスベガスのように華やかな街なので散策してみたかったが、フライトから一気に走り始めたせいか、1日目というのにかなりの疲労感。足早にMOTEL6にチェックインを済ませ風呂に入り持参した食料を口にする頃には12時を回りバタンキュー。....zzz

予定の遅れはあったものの心配していたレンタルバイクの受け取りや走行も無事にこなし寝床も確保できたので、まずまずな初日となりました。





2017/02/09

USA TOURING ③

.............つづき。

いよいよ、出発日。
前夜は緊張と胸の高鳴りで寝たような寝てないような.......。
荷物やチケットを再確認しいざ空港へ!

っとそこに一通のメールが。。。。。

Your flight to San Francisco is delayed due to a late inbound aircraft arrival. UA838 now departs from Tokyo at 9:20 p.m.

羽田を18:20発の予定が21:20発に遅延となってしまい羽田には14:55着なので6時間あまり時間が空いてしまった。そうと決まればじっとしていてもしょうがないので東京の友人に連絡を取り久しぶりに一杯付き合ってもらった。仕事を切り上げて付き合ってくれたYには感謝の言葉しかない。ありがとう。

さて仕切り直しでいよいよ出発。
遅延したせいか後部座席数列がガラ空き。ここぞとばかりに席を移動する外国人と席取り合戦の末1列のスペースを手に入れ足を伸ばして安眠することができた。
SFO着は13:30なのでこの調子だと時差ボケもなくスタートが切れそうだ。
なんせ3時間遅延なのでレンタルバイクを借りる予定も遅れてしまうためレンタルバイク屋の閉店17:00までにパッキングを済ませてバイクを走らせなければならない。
しかも、早々にサンフランからネバダ州に入る予定だ。


SFO到着と同時に60kgの荷物を引きずりながらタクシーを捕まえレンタルバイク店へ急ぐ。やはりサンフラン出発にしてよかった、これが初めての空港であれば到着と同時に右も左もわからず時間だけが過ぎただろう。

しばらくタクシーを走らせ予定のレンタルバイク店住所についたのだが、????。
お店が見つからない.....汗
その周辺(工業団地のようなエリア)を何度もタクシーで回ってもらうがお店らしいお店すらこのエリアにはない。
HPで見るからにはデカイ看板をあげた華やかな店舗のはずなんだが、そんな雰囲気すら無い。
そうこうしているとタクシードライバーの顔つきが険しくなり......。もうタイムリミットだ!!っと怒りながら強制的に荷物ごと放り投げられてしまった。
やばい。どうしよう..........。
荷物が重過ぎて10m歩くのがやっとで、正直泣きそうだった。
荷物を抱え肉体労働者ばかりの工業団地をビクビクしながら汗だくで歩き回っていると板金屋のテナントが並ぶ中に アレ!? 見覚えのある看板が....。ココだーー!!!
HPの華やかさとは程遠い小さく看板を挙げたショップにやっと辿り着いた。ショップというよりは倉庫だ。
どうやらHPの写真はサンフラン中心部のメイン店舗だったらしく僕の借りるBMWはメインでは無いので車両数代とスタッフ一人しかいないこの倉庫で貸し出しているんだとか。
スタッフは黒人男性の’MOU’。ミネラルをーターを片手に出迎えてくれた。
モウはヘビー級の荷物に驚きながらも自己紹介や手続きを済ませ車両の説明を細かくしてくれた。現行のBMWは機能も豊富で今回のような長距離走行には役立つものも多そうだ。
パッキングしながら行き先の話などをすると、そのプランに驚きかなり心配していた。この季節にそんなことする奴はいないらしい。インスタグラムのIDを交換し近況を見せてくれ!など会話は弾み1時間ほどパッキングをして、2週間後にまた会おう!っとモウに別れを告げた!

PM4:00。いよいよUSA TOURING スタート!!!



2017/02/08

USA TOURING ②

........つづき。

海外ツーリングへの想いは、マルタとの出会いをきっかけに、強くなり夢から目標へと変わった。どこが変わったかというと、「いつか行きたい」から「いつ行くか」になった事。
「それだけかよ!」
なんて言われるかもしれないが、ここが旅のスタートを切った瞬間だ。
気持ちは固まったのだから後は一個ずつ必要な物事をクリアしていこう。
っとは言っても、正直、具体的に何から始めていいのか見当もつかない。

まずは、どこの国にするか。
本来、「いつか」の時点ではドイツに行ってアルプス山脈を走りたいと思っていた。
しかし、ドイツに関しては自分がBMWを乗っていてドイツ製品や文化に興味がある程度で情報量も興味の度合いも乏しすぎるので今行くべきではない。
他に自分が好きな国で、ある程度の情報がある国、そうなると必然的に決まる。
アメリカ合衆国だ。

アメリカへは過去にも数回渡ったことがあり、車で1000km程度のソロドライブや1ヶ月程度のソロ滞在も経験済みなので、そのスキルを活かしもう1ステップ深い旅ができるのではないだろうか。
あくまで、今回のメインの目的はバイクに乗ることなので、それに焦点を絞って考えよう。
それからというもの、毎日毎日地図を見ながら模索。色々と夢や希望が広がりあれもこれも詰め込みたくなるものの、旅への資金と時間は限られているのだから現実的に計画を練って絞り込んで行った。

ある程度旅の詳細が見え出した2015年の春頃。バイク乗りの友人やお客さんとの花見の席で渡米ツーリングの話題で盛り上がり、その場の勢いでSさんとNさんの2名も同時期に渡米をすることとなった。とはいえ、一緒に行動するのでは旅の趣旨が変わってしまうので1つのイベントとして旅の途中で落ち合って1日だけツーリングを共有するというものだ。

自分にとっては限界ギリギリの資金と時間を費やして行くのだから、ただの楽しい旅で終わらせるつもりはない。自分のこれまで得た能力へのチャレンジとして。また、今後の自分への糧を得るために行くのだ。
未知の領域だからといって、なんとかなるやろ?みたいな行き当たりばったりな甘い考えは許されない。これまでのバイク人生の集大成をかけて準備にも取り組んだ。

渡米期間は2月。2週間。 仕事と家庭への影響をを考えるとこの時期と期間しかない。

終始レンタルバイク。 時間がもっとあれば現地でバイクを購入して旅の終わりで日本へ出荷したかったが、その手間暇を考えると時間が足りないので断念。

オンロード、オフロード、キャンプ。一口にツーリングとは行っても様々だが、日本でのこれまでの自分のバイクスキルが海外で活かせるかをチャレンジする。

発着地サンフランシスコ。 あえて過去に訪れた場所にすることで、旅の前後の支度を確実でスムーズに行えるようにした。

A,B,C,ルートプラン。A;カリフォルニア〜ネバダ〜ユタ〜アリゾナ〜カリフォルニア
2月は季節柄積雪が考えられるので状況次第でプラン変更できるようにルートを考える。
ルートを考えるのはとにかく時間がかかった。行きたい場所は無数に浮かぶものの季節、距離、制限時間を考えるとなかなか計画が進まない。ちなみに、ネバダ州とユタ州はマイナス10度になるというし、その日の道路状況は行くまでわからない。もちろんネットで隅から隅まで情報を探すが確信を持てる情報は手に入らない。万が一を考えて、B,C,プランも抜かりなく設定。キャンプグラウンドやモーテルの場所もいくつもピックアップしたが、実際どれぐらいのペースで移動できるかもわからないのであえて予約はしなかった。

装備、携行品。ルートプラン同様にかなり時間がかかった。正直出発前日まで悩んだ。旅行用品、バイク道具、キャンプ道具、どれもこれまでの経験範囲以上のことまで考える必要があった。これまでの雪山ツーリングでの気温が0度を下回る程度。大幅に下回るマイナス10度なんて想像がつかない。さらにアリゾナでは20度以上になるし日差しはさらに強い。極寒から真夏、雨や雪にも耐えうる装備をしつつ、コンパクトにパッキングしなくてはならない。結果、テントを含むキャンプ用品はランクアップして一新。ウェアー類も日本では使わないであろう極寒対策品も購入。大枚をはたいたが、ここで手を抜くと旅全体に影響しかねないので致し方ない。もちろん渡米寸前に冬山でキャンプをしてイメージトレーニングもした。
細かいことでいえば、連日の悪条件下で体調不良を起こさないように栄養補助サプリや各処方箋薬も準備した。

車種選択。アメリカの大手レンタル会社では金額はそれなりに高価だが、豊富な車種と保険のフルカバーなどが充実しているし、インターネットで予約や入金も行え事前に準備が行える。車種は新車から3年程度の高年式のラインナップでその中でオフロード走行も考慮してBMW F800GS に決定。F21インチでオンロード〜オフロードまで走れる上に軽量な車体。両サイド+トップケースがワンタッチで装備可能。これしかない!
車体が決まると、必要な工具も見えてくる、パンク修理、チェーン調整、配線加工、など、工具は特に重量があるので各ボルトサイズまで調べて綿密かつ必要最低限に選定。
新型のBMWなんて乗ったことも触ったこともないので市内のディーラーに行って跨ってイメージも膨らませた。

約半年間、頭を悩ませて準備し何度もパッキング練習もした道具達。
充分かつ最低限に絞ったがこれだけの容積と約60kgの重量。
車体に積めば終始タンデムツーリング状態だ。


両手に50kg、背中に10kg、空港で歩き回るのも一苦労になるだろう。
何はともあれ、これで準備は万端。
いざUSA TOURING へ!!!

2017/02/06

USA TOURING ①

お久しぶりです。


手軽なSNSが主流になっていますが、埃を被ったままのこのページもたまには更新です。
とは言っても、3年を振り返って書いたりはできません。空白は空白のまま。笑

ただ、去年、2016年の2月の出来事を振り返ろうと思います。
気の向くまま手の空いたタイミングでのんびりやりますので、暇つぶしがてらで見てください。笑


USA.TOURING!! 2016.FEB.
所謂、海外ツーリングです。
海外ツーリングと聞くとバイク乗りならば少なからず多少の興味はあると思うし、雑誌の1ページにも載ってたりしてチラッとは目につくものの、現実離れした遠い世界のような気がしていました。
しかし、些細なことがきっかけで、それは現実のものとなったのです。

きっかけは、2014年9月。
いつものように、夜、作業をしていたところ、店の前を一人の外国人女性が通りがかった。すると、店の前で立ち止まり、英語で『写真を撮っていいですか?』っと声をかけられ、いつもの調子の乏しい語学力で立ち話をすることに。
この女性の名前はMarta(マルタ)年齢は僕と同じ1980年生まれのスイス人。
外国人が店に立ち寄ることは珍しくないのだが大半は男性で女性はマルタが初めてかもしれない。
バイクに興味があるのかな?っと話を進めていくと、これが驚き!
スイスから日本までバイクで走ってきた!
っと言うではないか。
あまりの驚きと一気に湧いてきた興味に後日、飲みに誘ったことは言うまでもない。笑
実は僕も数年前から、いつの日か海外をバイクで旅したいと言う漠然とした夢を抱いていた。
そんなところにこの出会い。
つたない英語で根掘り葉掘り聞いたところ、マルタはYAMAHA XT660TENEREでスイス出発。北欧へ登りロシアを横断、ウラジオストックから鳥取までフェリーで渡り福岡市にたどり着いたそうだ。いくつもの国境を超えバイクで女性一人で旅をするなんて、なんとも素晴らしい。道中の話を聞くだけで鳥肌が立つほどの衝撃だった。
それにしてもマルタはなぜ日本の福岡を目的に来たのだろう?
それは、『SUMOU』笑。
なんと相撲を見たくて日本に来たんだそうな。
しかもチケットが取れたのがたまたま九州場所でそれで中央区にマンスリーマンションを借りてブラブラ歩いていたら僕と出会ったらしい。
その後、彼女はバイクのメンテナンスで何度かALAMEDAに通ってくれた。
持ち込んだtenereはこれまでの旅を物語るかのようにくたびれていたが、車体にこびり付いた泥や傷も遥か異国の大地から来たと思うと勲章のように輝いて見えた。
バイクのチェーン交換でヨーロッパで買ったものを持参して来たが日本のイズミチェーンだった事に日本製が誇らしく思えた。
道中のいろんなトラブル、各国での出会い、活きた経験談が僕の心に響いた事は間違いなかった。
このマルタとの出会いをきっかけに僕の海外ツーリングは日に日に現実味を増していくこととなった。

SPL THANX MARUTA!!!